WebLog for HDG

Poser 用 3D データ製品「PROJECT HDG」に関するまとめ bLOG です。

Poser 用 3D データ製品「PROJECT HDG」に関するまとめ WebLog です。

STORY of HDG(第4話.02)

第4話・立花 智子(タチバナ トモコ)

**** 4-02 ****


 年が明けて 2070年になると、天神ヶ崎高校への出向に向けての研修が開始された。この期に新たに講師として出向になるのは、智子の他には二人いて、一人は開発部設計課から、もう一人は製造部製造技術課からで、何方(どちら)も智子と同年代の男性社員だった。
 研修の内容は、天神ヶ崎高校のシステム的な解説から始まり、事務手続き全般の説明や、講師としての勤務内容、講義に関する準備や心構え等(など)、駆け足ではあるが、その密度は濃かった。そんな訳(わけ)で、研修期間の三ヶ月はあっと言う間に過ぎ去り、四月になると三人は予定通りに、講師として天神ヶ崎高校へ赴任する事となったのである。

 因(ちな)みに、その頃の情勢に就いてであるが。日本に就いてのみ言えば、島国であるが故、元元、防空レーダー網が濃密であった事が幸いし、エイリアン・ドローンを洋上で捕捉・迎撃を行う態勢の構築が早い時期に整っていた。その為、エイリアン・ドローンに上陸される確率は他の国々よりは比較的低く、この頃には攻防の均衡が取れ始めており、それらに因る社会不安は可成り和(やわ)らいでいたのである。
 それでも都市部では時折、洋上迎撃を擦り抜けたエイリアン・ドローンが市街地に迄(まで)到達し、被害をもたらす事件が起きていた。一般市民に対する人的被害を最小限にするべく、幾つかの方策は講じられていたので、被害が発生しても、その殆(ほとん)どが建造物に関する物になってはいた。しかしながら、それはそれで、損害の補償を誰がどうするのかが、政府に取っては頭の痛い問題ではあったのだ。と言うのも、市街地に侵入したエイリアン・ドローンを撃退する為に防衛軍が出動すると、防衛軍の迎撃に因って家屋や建造物が破壊されると言う二次被害の発生が、少なくなかったからだ。従来型の装備、例えば戦闘機の装備する空対地ミサイルや、戦闘車両の榴弾砲戦車砲等、装備の威力が大きければ大きい程、着弾地点周辺への影響も大きくなるし、更に、それらは百発百中では無いのである。目標に因って回避された、ミサイルや砲弾が流れ弾になってしまうと、どうしても、それらに因って周辺建造物への被害が拡大してしまうのは避けられないのである。
 従って、政府と防衛省の思考は「極力、洋上で迎撃を行い、上陸はさせない」と言う方向に傾き、その為の態勢強化に力が注がれる事になっていった。そんな流れの中で、防衛軍が防衛産業各社に検討を打診したのが『HDG 案件』なのだが、その実現性に関する技術的ハードルの高さや、開発に掛かるコストと時間が、その開発案件に対する上層部の興味を失わせていたのである。
 その一方で、エイリアン・ドローンに上陸された際に前線で対峙する事になる防衛軍部隊には、少なからぬ人的被害も発生する上、従来型装備での迎撃による周辺被害の拡大も世間からは問題視されるので、その状況を打開出来得る『新装備』を要求する気運が、それら前線部隊の間では高まっていたのである。

 …と言った具合に、智子が今まで住んでいた都市部では、エイリアン・ドローンに因る襲撃事件が深刻な社会問題だったのだが、新たに赴任して来た、この『地方』の山間部では、それはメディアやネットの中だけの出来事の様な、そんな雰囲気が漂っていたのが、智子には不思議に感じられた。
 勿論、日々の会話の中で、そんな話題が取り上げられる事は少なくはないのだが、それはどこか他人事(ひとごと)の様な、そんなニュアンスが感じられたのである。

「この辺りは、まだ一度も、エイリアンとかの襲撃を受けた事は無いんですよ。陸上防衛軍の駐屯地とかも近くに在るから怖いね、とは言ってるんだけどね~。」

 赴任して来た日に、最寄り駅から学校迄(まで)の、移動の際に乗ったタクシーの運転手が、そんな事を言っていたのを思い出し、「それも仕方が無いのかな」とも思う智子だった。

 学校が始まると、智子は共に赴任して来た他の二人とは、殆(ほとん)ど顔を合わせる事も無くなった。単身の男性職員は学校の敷地内に在る職員用の寮に、単身の女性職員は女子生徒と同じ女子寮に、それぞれが宿舎を割り振られてしまったし、昼間は、実習工場での授業担当助手に任命された他の二人は猛烈に忙しい様子だった。そもそも、天神ヶ崎高校には教師や講師が待機する、所謂(いわゆる)『職員室』と言う物が無かったので、会議にでも呼び出されない限り、他教科の先生達とは顔を合わせる事が、ほぼ無かったのである。『職員室』が無いので、教員それぞれには『居室』が用意され、授業が無い時間は、各人が、そこで授業の準備や研究等に集中出来る様に配慮されていた。
 『特許法』に関する授業の講師として赴任した智子の場合は、他の二人とは対照的で、はっきり言って「暇」だった。
 『特許法』の授業は、三年生に対する授業の予定は夏以降から組まれていたし、二年生に対する授業は秋口から、一年生に対する授業は更にその後、翌年の一月からの予定だった。全ての学年について、一年間を通して授業を行う程のボリュームでは無かったのである。
 そんな智子に割り振られたもう一つの役割が、天神ヶ崎高校では伝統の有る『兵器開発部』顧問の役目だったのだが、その『兵器開発部』も、今では『幽霊部員の巣窟』となっており、開店休業状態であると知って、智子は愕然としたのだった。

「わたしもね、本社、企画部の OB なんですよ。そうは言っても、退職したのは十年も前の事なんだけどね。」

 そう言って笑ったのは、赴任して早々、学校に慣れる迄(まで)の間、智子の世話役として紹介された、前園氏である。彼の言う通り、定年退職後に天神ヶ崎高校の講師となり十年と言う事で、可成りの高齢ではあったのだが、年齢を感じさせない、矍鑠(かくしゃく)とした老紳士といった風体(ふうてい)の人物である。
 その日は、2070年4月1日火曜日。天神ヶ崎高校では前期の始業式が行われた日で、式の後、校内の案内等を一通り済ませて、学食の一角で前園氏と智子はコーヒーを飲んでいた。校内は明後日に控えた入学式の準備で、教師や生徒会の面々は忙しそうにしていたのだが、本社から出向で来ている講師達には特段の役割も無いので、手持無沙汰にしている者が殆(ほとん)どだった。

 

- to be continued …-

 

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