WebLog for HDG

Poser 用 3D データ製品「PROJECT HDG」に関するまとめ bLOG です。

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STORY of HDG(第15話.07)

第15話・ブリジット・ボードレールと天野 茜(アマノ アカネ)

**** 15-07 ****


 翌日、2072年10月1日・土曜日。
 機材の搬入とセットアップが予定通りに終了した為、試作部から出張して来ていた人員の半数程が、この日の午前中に撤収となった。天神ヶ﨑高校に残ったのは、試作部の人員としてはメカ担当の畑中と大塚、そしてエレキ担当の倉森と新田と、兵器開発部のメンバーには顔馴染みの面々である。開発部設計三課の安藤と日比野も勿論、最終日である月曜日の飛行試験までの滞在予定だった。飯田部長と開発部設計一課の実松課長も、AMF の飛行試験に立ち会う予定である。
 天野理事長と飯田部長、そして実松課長の三名は、この日は兵器開発部の視察は行わず、塚元校長を交えての会議が開かれていた。その会議には前園先生や立花先生も呼び出されたのだが、勿論、その議題や会議の内容が兵器開発部のメンバー達に知らされる事はない。
 そして午後になると、天野理事長と飯田部長、その担当秘書である蒲田の三名が、本社から飛来した社用機で何処(いずこ)かへと飛び立っていったのである。細かい話になるのだが、その社用機のパイロットは加納ではない。加納は、この日も実施される茜とブリジットの空中戦シミュレーションに立ち会う予定なので、それ故(ゆえ)に、社用機が本社から飛来した訳(わけ)でもある。
 因(ちな)みに、前日に飛来した AMF の操縦装置を搭載した社用機は天神ヶ﨑高校に留め置かれており、その機体を操縦して来たパイロットは、天神ヶ﨑高校に配置されていた社有機で昨日の午後一番に東京の飛行場へと戻っていた。
 この日に天野理事長らを迎えに来た機体は、昨日に天神ヶ﨑高校から東京へと向かったその機体であり、夕方頃に三名を天神ヶ﨑高校に連れ帰った後、最低限の点検を実施して蜻蛉(とんぼ)返りで、又、東京の飛行場へと飛び立ったのだ。
 一方、天神ヶ﨑高校に残された AMF の操縦装置を搭載した社用機は、月曜日に予定されている AMF の飛行試験が完了後に加納の操縦で山梨の試作工場へと移動し、そこで AMF 操縦装置の撤去作業に入る予定である。そして加納は、試作工場で東京の飛行場から移送されて来る予定の天神ヶ﨑高校から移動した社有機で天神ヶ﨑高校へと戻って来る、そんな計画が立てられていた。

 兵器開発部の、この日の活動予定は前日に引き続き、茜とブリジットによる AMF と HDG-B01 の空中戦シミュレーションがメインである。
 この日のシミュレーションから、前日はオフにされていた『ブラック・アウト』と『レッド・アウト』を視覚的に再現する機能が有効化された。
 『ブラック・アウト』とは、各種の空中機動に因ってパイロットに長時間の下向きの加速度が掛かった際に、頭部への血液の流れが阻害される事で、一時的に貧血の様な症状で視界が真っ暗になる状態の呼称である。『レッド・アウト』は『ブラック・アウト』とは逆の状態で、上向きの加速度(マイナスのG)に因って頭部に血液が集中し、その結果、視界が真っ赤に見える状態の呼称だが、何方(どちら)にしても、その状態が継続するとパイロットが意識を失うなど非常に危険なのだ。
 シミュレーターの表示映像がどれだけ高度に発達しても、搭乗者に掛かるGの再現は不可能なので、シミュレーターでは仮想視界の表示範囲を狭めたり、暗くしたりで『ブラック・アウト』状態を疑似再現するのだ。
 Gに対する耐性は、訓練を積んだ所で劇的に向上する事は期待出来ず、それは人体に於ける生理上の限界なので、戦闘機のパイロット達は、Gが掛かった際に太股部を締め付けて血液が脚に集中するのを防ぐ、伝統的な『耐Gスーツ』を着用して対処している。しかし、HDG のインナー・スーツには『耐Gスーツ』に準じた機能は無く、だから茜達は高G状態が継続する様な機動は避けなければならない事になっているのだった。それが可能なのかどうか、その検証が、この日以降のシミュレーションの目的の一つでもあるのだ。勿論、Ruby と AMF の飛行制御関連ソフトウェアの動作確認が、第一の目的である事は言う迄(まで)もない。

 そしてこの日は、偶然ではあるが緒美の訓練飛行の日でもあった。HDG の航空装備試験に備え、昨年の夏に自家用機操縦士免許を取得した緒美と直美の二人であるが、その技量維持の為、月に二回、飛行機部の協力も得て一回に付き二時間程度の訓練飛行を続けているのだ。
 午前中に、飛行機部が所有する PC 利用のフライト・シミュレーターで離着陸操作の手順を確認し、午後からフライトを行うのが、標準的なスケジュールである。そのフライトには、飛行機部が管理していはいるが余剰資材扱いだったレプリカ零式戦を使用し、飛行機部からは金子か武東が軽飛行機で随伴するのが定例となっていた。勿論、レプリカ零式戦を使用するのは、飛行機部所有の軽飛行機では HDG のチェイス機としての能力が不足するからで、緒美と直美が操縦士免許を取得した理由からすれば、二人が HDG 飛行試験に使用可能なレプリカ零式戦で訓練飛行をするのは当然である。
 因みに、飛行機部がレプリカ零式戦を余剰資材扱いせざるを得なかったのは単純に稼働コストの問題が理由で、飛行機部単独の予算では定期的にレプリカ零式戦を飛行させる余裕は無かったのだ。従来は年に数回の、主に学祭での展示飛行の為に維持整備するのが、飛行機部の予算では精一杯だったのである。それが昨年から定期的に飛行が出来ているのは、当然、本社から必要な予算の補填が行われているからに他ならない。
 そんな状況だったので、飛行機部の部員達にも『あの』レプリカ零式戦を飛ばした経験を有する者は殆(ほとん)ど居なく、「乗ってはみたいが、うっかり事故を起こして破損でもさせたら大変だ。」と、尻込みする者(もの)が大抵なのだった。実際の所、現在の飛行機部でレプリカ零式戦での飛行経験が有るのは、部長の金子だけなのだ。だから、レプリカ零式戦に定期的に搭乗している兵器開発部の二人の事は、羨(うらや)ましい様な、悔(くや)しい様な、聊(いささ)か複雑な心境で飛行機部の部員達から見られていたのだった。
 勿論、それで緒美と直美が嫌味を言われたり、嫌がらせ受ける様な事は無い。何故なら、兵器開発部の関与で常時稼働状態になったレプリカ零式戦には、飛行機部の部員も搭乗しても良い事になっていたからである。

「フライト・シムで飛ばせる自信が付いた者は、何時(いつ)でも搭乗希望を出しな。」

 そう、部長の金子が、飛行機部の部員達に明言していたのだ。つまり、兵器開発部の二人だけが特別扱いでレプリカ零式戦を使用している訳(わけ)ではなく、あとは飛行機部部員各自の『自信と度胸』の問題となっているのである。

 語りの筋が少々逸(そ)れたので、軌道を戻そう。
 普段なら、緒美と直美が同日に交代で訓練飛行を行うのだったが、この日の予定は緒美のみとなっていた。
 この日の訓練飛行を直美が行わないのは、明後日(みょうごにち)の月曜日に予定されている AMF の飛行試験で、チェイス機として参加するレプリカ零式戦の操縦を、直美が担当するからだ。
 緒美と直美の総飛行時間は、この時点で共に九十八時間で、緒美はこの日の訓練飛行で百時間に、直美も明後日(みょうごにち)の AMF 飛行試験に参加する事で百時間に達する見込みである。因みに、この二人の総飛行時間、百時間には、免許取得の為の合宿訓練での飛行時間である六十時間も含まれている。

 この日の兵器開発部の活動は、茜とブリジットによる空中戦シミュレーションが午前十時から開始されたのだが、それら諸諸(もろもろ)の準備は午前九時頃から始められていた。
 午前十時頃には現場の監督を副部長である直美と、会計の恵の二人に任せ、緒美は訓練飛行の打ち合わせと、手順確認の為の PC フライト・シミュレーター実施の為に、飛行機部が本拠とする第一格納庫へと向かったのだ。
 HDG の空中戦シミュレーションは、前日の打ち合わせ通りに条件や設定を変更しつつ、休憩を挟(はさ)み乍(なが)ら夕方まで、繰り返し実施された。
 緒美の方は、レプリカ零式戦での訓練飛行を何時(いつ)も通りに熟(こな)し、終了後の点検や手続きを終えて器材を飛行機部へと引き渡し、午後四時前には第三格納庫へと戻って来たのである。

 そうして、この日は特に問題も無く、予定通りに一日を終えたのだった。


 更に翌日、2072年10月2日・日曜日。
 本来なら休日の筈(はず)ではあるが、何時(いつ)も兵器開発部は当たり前の様に部活をしているので、当然この日も活動は行われるのだ。内容は、引き続き前日の同じく HDG の空中戦シミュレーションだが、翌日の AMF 飛行試験の準備も有るので、この日のシミュレーションは午後三時まで、となっていた。
 出張で来校している本社試作部の四名は、当然の様に休日出勤のスケジュールで、後日に代休を取得する予定だった。その彼等(かれら)の、この日の作業は、レプリカ零式戦と飛行機部の軽飛行機への撮影機材及び、通信機材の取り付けと、それらの動作確認である。
 レプリカ零式戦へは、右主翼下の爆弾架取り付け部に専用アダプターを介して、撮影機材を収めた棒状の構造体をセットする。棒状構造体は前方部に砲弾型に膨らんだ収納部を持っており、その先端部透明カバーの中にカメラが仕込まれているのだ。
 機体にセットされた撮影機材は、先端のバルジ部が主翼前縁部より凡(およ)そ二メートル突き出した状態となり、前方から右側方が撮影範囲となっている。これは、AMF の左手側にレプリカ零式戦を飛行させ、飛行中の AMF の状態を撮影する計画なのだ。
 飛行機部の軽飛行機には同形状の撮影機材を左翼翼端に取り付け、飛行中の AMF を右側から撮影する。
 そして追加搭載される通信機材は、音声通話の機能は勿論なのだが、それ以上に撮影した画像データを送信する為の物なのだ。送信された撮影画像は、AMF の操縦装置が搭載された社有機で受信し、記録される計画である。レプリカ零式戦と軽飛行機、双方の撮影機材のコントロール、つまり画角やズームなどの調整も、全て社有機の側から行うので、撮影機自体は一定の間隔を保って、ひたすら真っ直ぐ飛ばなければならないのだ。
 斯様(かよう)に、翌日の飛行試験には AMF と HDG-B01 の他に、三機が随伴する計画なのだった。因(ちな)みに、その飛行試験の際に社有機に搭乗する予定の加納は、非常時に AMF を外部から操縦する為に待機していなければならないので、社有機の操縦は別のパイロット二名が担当する。
 天神ヶ﨑高校に配置されている、天野重工総務部飛行課所属のパイロットは三名で、その内の一人が加納である。加納は秘書課の仕事も兼務している都合上、天神ヶ﨑高校に常駐するパイロットとしての事務仕事は、残りの二人が肩代わりしている格好ではあるのだ。
 彼等(かれら)は通常、整備担当の三名と共に第二格納庫で業務に当たっているのだが、天野理事長が移動の際には、機長を加納が務めるので、残り二人の内一人が交代で副操縦士を務めるのだ。それ以外のフライトでは、加納以外の二名が正・副操縦士として飛行業務を実施する場合も当然有るし、滑走路管理の様な雑用的な業務から、予備機の点検飛行とか、果ては飛行機部部員達への操縦技術指導までと、彼等(かれら)の業務は意外に幅が広いのだった。

 そんな訳(わけ)で、この日の活動は大きく二つのグループに分かれて行われたのである。
 一つは、HDG の空中戦シミュレーションのグループで、当然、其方(そちら)には茜とブリジットが、監督者として直美と恵、空中戦のアドバイザーとして加納、シミュレーターの設定操作と各種記録を樹里とクラウディア、そして Ruby の作動モニターとしての安藤、と言うメンバーである。
 もう一方のグループは、レプリカ零式戦と飛行機部の軽飛行機へ撮影機材の取り付けと、その動作確認のグループで、その作業は第二格納庫で行われた。メンバーは本社試作部から畑中、大塚、倉森、新田、兵器開発部からは瑠菜と佳奈、通信やデータ・リンクの確認作業を日比野と維月が担当したのだ。そしてそれらが第二格納庫での作業だけに、そこに常駐している整備担当の藤元、並木、片平の三名も、兵器開発部達の作業に協力したのだった。勿論、彼等も休日出勤での対応である。
 こうして、AMF の飛行試験準備は、着々と進行していったのだった。


 そして、AMF の飛行試験が実施される、2072年10月3日・月曜日である。
 学校のカレンダー的には、この日が試験休み期間の最終日で、生徒達には授業が無い。
 兵器開発部の活動として、AMF の飛行試験は午後からの予定だったが、彼女達は当然、午前中から試験の準備に追われていた。
 午前九時開始で試験手順の最終打ち合わせの後、機体や各種器材の点検及び、設定確認等が実施される。そして天野重工社有機へは計測・記録器材の積み込みが行われたのである。当然、積み込まれた機材が正常に作動するかは地上で動作確認が行われ、通信機等に不具合が無い事も確認がされる。
 全ての事前点検が終わると第二格納庫の藤元等に因って、AMF の他、試験に参加する機体が格納庫から駐機場へと引き出され、そこで飛行可能にする為の安全ピンの撤去や、燃料の注入が行われるのだ。
 その間、兵器開発部のメンバーでは一人、直美だけが飛行機部で PC フライト・シミュレーターでレプリカ零式戦の離着陸の手順確認を行い、午後からのフライトに向けて準備をしていた。
 フライトは午後一時開始の予定なので、AMF 飛行試験の参加スタッフは少し早めの昼休みに入り、特にフライトに臨(のぞ)む茜とブリジット、そして直美と飛行機部の金子は、手配されていた弁当で第三格納庫にて、午前十一時半頃には昼食を済ませたのである。
 そして昼休みの後、午後十二時過ぎには茜とブリジットはインナー・スーツへと着替え、それぞれが HDG を起動、装着したのである。そして、ブリジットの HDG-B01 が飛行ユニットを接続し、茜が AMF へ HDG-A01 をドッキングさせて準備を終えた頃には、時刻は午後一時迄(まで)あと十分程度に迫っていた。
 HDG 各機と平行して、随伴機のエンジンもそれぞれが起動し、レプリカ零式戦には直美が、飛行機部の軽飛行機には金子が搭乗していた。天野重工の社有機にも二名のパイロットが既に乗り込んでおり、計測員役として日比野と樹里が、試験の監督役として緒美と飯田部長が、そして AMF の非常時外部操縦員として加納が社有機へと乗り込んでいく。
 そんな折り、操縦席の機長、沢渡が客室の飯田部長に呼び掛けるのだ。

「飯田部長、交通管制からの注意情報ですが、九州北部上空にエイリアン・ドローンの接近を観測。防衛軍が迎撃行動を開始したそうです。場合に依っては、これから向かう空域が閉鎖(クローズド)になるかも、と言う事です。」

「今は、飛行禁止じゃないのだね?」

「はい、今の所は。」

 今度は、通信の最終チェックを行っていた日比野が飯田部長に声を掛ける。

「飯田部長、ベースの方(ほう)からも同じ様な事、言って来てます。」

 ここで言う『ベース』とは第三格納庫内に設置された、試験状況の観測基地の事で、防衛軍のデータ・リンクを利用して社有機機内で得られる情報が、全て観測基地でもモニターが可能になっているのだ。ベース側各種器材のコントロールは、安藤と維月、そしてクラウディアが担当している。天野理事長や実松課長、立花先生や兵器開発部のメンバー達はベースのモニターで試験の状況を確認する予定なのだ。当然、データ・リンクを利用して、通話も可成り自由に出来る様になっていた。

 ベースの側ではエイリアン・ドローン襲撃の報道を受けて、兵器開発部やその他の生徒達が口口(くちぐち)に話している。

「どうしてこう、試験の日程とかち合うかな。」

 そう、瑠菜が言うと、維月が冗談半分に言うのだ。

「案外、ウチの試験日程に合わせて来てたりして?」

 それを真に受けたのか、飛行機部の武東が問い掛ける。

「情報が漏れてるって事?」

 それには真面目な顔で、恵が言葉を返すのだ。

「まさか。 偶然、襲撃のサイクルと合っちゃっただけでしょ。エイリアンが、ウチの試験日程なんか、気にしてる訳(わけ)が無いわ。」

 そこに、社有機機内の飯田部長の声が、ベースの方へと届くのだ。

「エイリアン・ドローンの件、此方(こちら)のパイロットの方(ほう)にも、交通管制から注意情報が来たそうだ。報道のは、先程、携帯で確認した。」

 そのスピーカーからの声を聞いて、透(す)かさず通話用のマイクを奪い取った立花先生は、飯田部長に問い掛ける。

「どうします?飯田部長。 今日は中止にしますか?」

「いや、試験予定の空域が飛行禁止になってないから、今の内に済ませてしまおう。此方(こちら)にも、予定ってものが有る。」

 その返事を聞いて、立花先生は黙って座って居る天野理事長へと、視線を移すのだ。それに気付いた天野理事長は、落ち着いた口調で言った。

「実務の判断は、キミ達に任せるよ。」

 この日の、HDG をドッキングさせての AMF 飛行試験に至る為の準備期間は、この三日間程度の事ではない。それに、今日ここに集まっているメンバー達が担当している業務は、AMF 関連だけではないのだ。例えば畑中、日比野、安藤、それぞれが元の職場に戻れば、それぞれに別の、次の仕事が待っているのだ。今日の試験を延期にした場合、同じ様に、このメンバーを再(ふたた)び集める為に、どれだけのスケジュール調整をしなければならないのか。その作業量は立花先生には想像も付かなかったが、その仕事が大変なのだろうと言う想像だけは付いたのだ。

「分かりました。状況を確認しつつ、試験を続行しましょう。」

 立花先生は、そうマイクに向かって言うと、そのあとで一度、大きく息を吐(は)いたのだ。

 

- to be continued …-

 

※この作品は現時点で未完成で、制作途上の状態で公開しています。
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